組織はトップの器以上に大きくなれない、ということ

トップの器以上に組織は大きくなれない、といわれています。

トップが望む以上には組織は大きくならない、ともいわれています。

本当にそうだなーと思うのです。

 

組織というものは、より発展したい、もっと拡大したい、今より社会に影響力を持ちたい、と考えて日々精進してるんだと思ってます。簡単に言えば、売上あげたい、シェアを広げたい、もっとメジャーになりたい、ってことです。

別に確認したわけじゃないけど、組織の構成員のみんなが暗黙にそれを了解し合い、そこを目指すものだと考えています。

ですが、組織のトップと話していると、口では「もっともっと」と言うわりに、思い描いている組織イメージや社会イメージが古いまま、という残念なことがあります。

幸運にも急拡大してきた組織の、昔からいる生え抜きの社長、が多いですが。穏やかで(自分が)良かったと思っている時代の感覚で止まったまま、あるいは急成長して騒々しくなった今よりもそんな時代に戻りたいとさえ(無自覚に)考えているふしがあります。

口で言えばなんとかなると思っているなら、もうそこがトップの資質が足りない。部下たちは、言葉よりもはるかに多くのことをトップの表情や態度から感知しているものです。(だって忖度するから)

本気で上を目指さないトップの下で、本気で上を目指せる部下が育つわけがないのです。

 

こんな風に会社を成長させたいと、望むことは誰でもできる。

トップに求められるのは、会社がこんな風になっている姿がもう頭の中で描けていて、それを実現させたくて仕方がない、と日々ヤキモキと焦っていることです。ゴールビジョンが明確だからこそ、そこに資源(人とカネ)を突っ込んでカタチにしていくという作業ができるのです。

トップが100考えていても、末端のスタッフがその考えを共有してるのは1くらい。末端に100考えさせたかったら、トップが10000はそのことを考え、日々思い悩んでるくらいじゃないといけないのです。

 

 

なーんてことを考えたのは、ある組織のブランドビジョンを作るぞ、という会議に出たから。

部門の代表者たちがビジョンよりも部門目標しか語れなかったのはまぁいいとして、それを黙って聞いていて最後に苛立たしげに口を開いたトップが、さあ壮大なビジョンを語ってくれるのかと思いきや、SDGsとかAIとか流行り言葉を出してきて「うちでもなんとかこれに乗っかりたい」と語った日には、天を仰いでしまいましたよ。

まぁブランドビジョンを会議開いて作ろう(まとめよう、カタチにしよう、ではないです。イチから作ろうとしてるんです)としてる時点で残念なんですけどね。

 

人を増やせばいいって問題じゃない

自分の評価にも部署の評価にも繋がらず、私の仕事とは一ミリも関係ない他部署の仕事をクソ忙しい時期に押し付けられて、その時の上のセリフが「頭数増やしてあげるから、ね」。

 

いやいやいや、ふざけてもらっちゃ困りますよ、部長さん。

 

スタッフを何人増やそうと、今目の前にある問題の解決には役に立たんどころか害でしかないってことがわからんのですかね。

新しい人間を入れれば、その教育が必要になる。

教育している間、教育係のパフォーマンスは確実に落ちる。

今いるメンツのパフォーマンスを落とされちゃ困るのです。

繁忙期に照準を定めて数カ月かけてスタッフの経験値を上げてきたのに、計画性のない上と仕事のできない他部署になんで足をひっぱられなきゃならんのか。

まぁ組織としては、どこの部署でもやってくれりゃ同じなんでしょうけど。

 

海外から労働力をお借りしたがっている政治家も、ちゃんと考えてほしいものです。頭数をそろえりゃ解決できるほど、日本の労働環境は甘くはないですからね。根本的に生産性を上げなければ行き詰まります。確実に。

 

 

 

教育熱心な先生が多い大学

先日の記事で大学業界をディスってしまったのでフォローするわけではないのですが。

 

say-icchi.hatenablog.com

 

まったく私の感覚に過ぎないのですが、 

文科省しか見てない経営者が経営する大学には、教育熱心な先生が多い気がします。

学生を正面から見つめ、学生のことを四六時中考えている先生たちが多い。

なぜか。

 

大学の先生のお仕事って、大きく研究教育があります。

 

ネームバリューも資金力もあるような「お高い」大学は、研究力が礎ですので、先生たちは必死で研究してます。互いの競争意識もハンパないです。

と書くと、その他の大学は研究してないようですが、ハイ、してないですね。してるかもしれませんが、論文数が圧倒的に違います。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/041/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2017/11/15/1398190_008.pdf

 

文科省忖度補助金好きな大学の先生も研究しないわけではないのですが、トップ大学ほどのプレッシャーはない。そのため、教育に割く時間も多くとれる。

それほど研究力が高くなくても先生になれるような大学ともいえる。

 

ご存じですか?大学教員って資格はないんですよ。

幼稚園から高校まで、センセイになろうとしたら教員免許がいりますが、大学教員には資格は不要。誰でもなれるんです。

正確には、採用する大学がそれぞれ独自基準を持っていますので、それを満たしたらなれる、ですが。

最終学歴が学部卒の大学教授だっているんですよ。それが大学院でも教えていたりする。理系学部ではないですけど、文系学部だったらあります。

賞持ちの作家とか名のあるジャーナリストとか、社会で目覚ましい活躍をされた方が多いようですが、コネもあるようですね。

天下り官僚でも教授になれるのはそういうわけなんです。

文科省「天下り」あっせん、早稲田大が口裏合わせに応じていた 鎌田総長は「癒着はない」と釈明 | HuffPost Japan

 

そういうわけで、補助金好きな大学には教育熱心な先生がわりと多い気がします。

研究職に憧れがあって、若い時には教員にも興味があったような社会人経験者が大学の新しい若手教員として頑張っていらっしゃって、学生の教育にも熱がこもっているように見受けられます。私から見たらちょっと学生に甘すぎるくらい熱心な人も。

 ただ、そういう先生は、本来の研究・教育に加えて補助金もらうためにやたらと働かされるので、数年で転職しちゃいます。先生の入れ替わりが激しい大学は、まぁそんな大学だと見て間違いありません。

 

 

大学は学生のために仕事をしていない事実

仕事で私立の某大学法人に関わったことがあるのですが、

この私立大学業界というやつ、一般が想像しているよりはるかに、文科省の方を向いて仕事をしてるんです。

 

toyokeizai.net

 

残念ながら大学は、学生のために仕事をしてはおりません。

文科省の方を向いて仕事しています。

一般企業だと、顧客(お金を払う人)のために仕事するでしょ。大学は違うのです。

文科省からもらえる補助金のために仕事をしてます。

 

大学には、「この仕事ムダじゃない?」とか「この書類なによ」とか「これ、そもそも学生の学びに効果あるの?」という仕事が山のようにあるのですが、その裏にあるのは補助金です。

文科省が「○○したら補助金あげる♡」というので、やってます。

「スーパーグローバル大学」とか聞いたことないでしょうか。アレです。

最近は、情報技術人材の育成とか、高大接続って言葉がお好きなようです。

東京の大学の入学定員を厳格化して昨年の受験生に悲鳴を上げさせたあの愚策も、ソレです。

国公私立大学を通じた大学教育再生の戦略的推進:文部科学省

 

文科省が日本の教育のための策を考える

②それをする大学には「補助金をあげる♡」という

③「イエッサ~」と補助金にむらがるその策を実践する大学。

 

文科省補助金という札束で大学の頬を叩いているようなもんです。

大学はなんも考えていません。口開けて補助金が降ってくるのを待ってるだけ。

だって自分たちで考える必要ないんですよ、文科省のエリート役人たちが考えることは間違いなく最高に教育効果のある策の「はず」だから、それを黙々とこなせばいいのです。(で、実務に追われるのは下っ端の教員と職員)

 

国立大学でもたぶん似たような状況なんだろうなと思ったのが、この記事。

www.asahi.com

 

こんなことするバカが一人でもいると、必死で日本の教育のことを考えている大勢の文科省官僚たちまでもがバカにされるから、つまらないことは本当にやめてほしいのですが、そんなことよりも。

寄付金がもう200万も集まってるんですって。

大学は「批判的精神」を学ばせる場だと思ってましたが、批判的にならず素直に寄付しちゃった大学関係者がいるんですね。それが残念でならない。なんも考えずに仕事してるからですよ。

 

ちなみに、誰でも名前を知っているような超有名大学は、この記事にまったく当てはまらないことを付け加えておきます。

すでに資金力ネームバリューがあるところは、堂々と「批判的精神」を振りかざせます。補助金に頼りすぎなくても研究力や寄付金で経営できますしね。

自分の子どもの大学を選ぶなら、↑これ、ポイントです。

 

外国人労働者を日本人が扱えるの?

日本の労働力不足を外国人で補いたいのだそうです。

 でも、政治家のセンセたちが思い描いているような、そんなにうまくはいきませんよ。

www.tokyo-np.co.jp

 

補いたい分野が「建設」「農業」「宿泊」「介護」「造船」といったいわゆる単純労働で、日本人がやりたがらないたぐいの仕事を、だったら外国人ならやってくれるんじゃね、って発想が、貧乏な国からカネで労働力を釣ってるようで、どうもスッキリしないのですけど。。。

 

日本で就労資格を得るには「日本語の能力」も必要されるそうですが、 

business.nikkeibp.co.jp

 

言葉さえクリアしたら、日本人単純労働者と同じだと思ってます?

それは考えがあまいです。というか現実を知らなすぎ。

 

留学生を数多く受け入れている大学の、留学生を一番受け入れている学部の先生に聞いたことがあるのですが、外国人留学生は日本人学生の3倍は手間がかかるのだそうです。

 言葉の問題はもちろんのこと、日本語がある程度使えるようになった後でも、生活面が大変なのです。

まず、異国での生活はひとりでは営めないので、頼るところが必要。それが大学だったら教員だったり国際交流センター的な部門だったりしますが、ひとたび頼る人間ができるとあらゆることを頼ってきます。アパート探しや銀行口座の開設のお手伝いくらいなら想定の範囲でしょうが、たとえば、無断欠勤したアルバイト先に首を切られたのにしつこく再雇用のお願いに行って困った店長が教員に連絡してくるとか、1Rのアパートがいつの間にか同郷人のシェアハウス化していて追い出しにかかる大家と留学生との間で仲裁するとか。

留学生に限らず社会人でも同じで、自社で雇っている以上は社会的に面倒を見なければならないシーンはあります。自分で始末しろと突き放すわけにはいかない。

 

外国人ではないのですが、ある男の子から手紙をもらったことがありました。ご両親は東南アジアの方ですが、もう日本生活が長いのでその男の子は日本語がメイン。小(途中から)・中・高と日本で過ごし、声だけ聴いたら違和感なく日本人です。

手紙はこちらが渡した茶封筒で送られてきたのですが、その封筒がです。封筒には表と裏があり、表に宛先、裏に自分の名前を書くというのが常識、だと思うでしょう? ですが彼は裏に宛名を書いて切手を貼り、表に自分の名前を書いてきたのです。

フラップ(フタ)を留めて封をしてあり(いやそれもセロテープを縦にペロッと貼っただけで封とは言えなかったのですが)、その面に切手と宛先です。表面には堂々たる文字で自分の住所と名前を書いています。裏面とはいえ、宛先の面に切手を貼るのと、宛名には○○様をつけるという常識知識はあったようで、手紙は私の手元に無事に届きましたが、それでメデタシメデタシとはいえ、私を驚かせるには十分でした。

いくらデジタルネイティブな世代で郵便手紙なんて使ったことがなかったにしても、何十年も日本で生活していれば親に送られてくる封書やDMを目にして、封筒の裏表くらい意識せずに知っているだろうと想定されませんか。けれど彼はその機会をなにかの理由で得られなかったわけです。

 

日本人が”当たり前”のことと意識すらしなかった些細な事柄で、彼らは躓くことがある。

異国に来た人たちがそういう躓きを越えていくのは彼らに頑張ってもらうしかないけど、そこに手を差し伸べる方も、結構手間です。

キリスト教者なら日本の地区のキリスト教会が頼らせてくれたりするようですが、みんながみんな宗教的背景を活かせるわけじゃない。受け入れた側の企業がそれをするとなると、今度は日本人側のパフォーマンスが落ちる。そう考えると、中小企業では難しいでしょうね。

そういう「受け入れに必要な仕組み」を検討することもなしに外国人労働者の受け入れることだけを先行しようとするから、スッキリしないのです。

 

一方で、優秀な外国人労働者だったらwelcomeなのか。

それは「日本人が、日本国内で、外国人に雇用される」未来を受け入れられるのか、によります。

優秀な外国人は驚くほど優秀です。

語学だけでも母国語と日本語、だけではなく英語やその他言語も習得していることが多い。頑張り屋さんだし、異国で生き抜く社交性も身に付けている。ひきこもり日本人よりよっぽどコミュニケーション能力が高い。固定概念に縛られていないので発想が幅広い。日本人の大多数は負けますよ。彼らに勝てるような教育を受けてないのだから、仕方ないよね。

 

日本人が、自分勝手に想像しているような理想的なカタチで外国人労働者を扱えると思ったら、大間違いなのです。

 

 

不正入試よりも気に入らないこと

至学館パワハラからはじまり、日大のタックル、東京医科大と文科省局長の不適切な関係に端を発する医学部不正入試など、大学組織のブラックな話題が盛りだくさんの2018年です。

ここまで大学組織がメディアで悪者扱いされてるってことは、近々お国が大学の改革でも起こす前振りじゃないかとつい横目で見てしまいます。

 

【医学部入試不正】受験生への説明を尽くせ|高知新聞

 

もう数か月したら入試本番になろうというこの時期に、全然収束しそうにない不正入試問題ですが、正直、そんなに悪いことなの?と思っています。

いえ、それで不利益を被った女子や多浪の方々を否定しているわけではないです。


大学が社会に人材を供給する使命をもつ機関だとしたら、医学界の実情に合わせて男女比を調整することくらい当然にあるだろうと思うのです。大学はそんなことすら許されていないというのが、むしろ不思議。

大学は、学業を頑張った高校生たちのご褒美機関ではないのです。

社会を担う人材を輩出する役目を大学に求めるなら、入口(入学者)だってそれに合わせることが当然に想定される。それを厚労省経産省の事情を知らない文科省が縛ってるんだと、不思議に思う次第です。

教育基本法で定められている男女平等な教育の機会に反したことや、女医が働きやすく、眼科医と皮膚科医に偏らない医学界にする必要性は、また別の問題。それはそれで追求され改善されるべき課題です。切り分けて考えないと。

 

なにが不正だったのか。偏りある合否判定をすることを事前に受験生に公表しなかったことかしら。

残念ながら、世の中が常に公平なわけではないので、入試だけに清廉潔癖さを求めるのもねぇ。高校生には可哀想だけど、えこひいきなんて世の中ごまんとありますよ。それを正当化する気はないけれど、自分の頑張りが100%報われるというのは、文科省だけで通用する幻想です。

 

これを機に、学力優秀者は医学部を目指すという古い価値観は捨ててしまったらどうでしょうか。

医学部を目指す高校生たちがすべて、心から本当に医者になることを望んでいるかといえば、そうではないでしょう。特に医者に興味はないけど頭がいいから医学部行くか、という受験生は昔も今も一定数いるはず。

でもね、頭がいいあなたなら、医者よりももっとクリエイティブで頭を活かせて稼げる仕事なんていくらでもあるよと、高校生に教えてあげたい。

そしたら、医学部を目指すのは本当に意欲のある高校生だけに絞られて、つまり受験者数が減るから、どこの医学部だってあんな女子や多浪生に傲慢な入試をしなくなると思うのです。

 

 まぁ何よりも昭和大学

otonanswer.jp

 

女子受験生への差別は否定したようですが、男女の合格率の差は歴然です。

でも、昭和大学は何があっても肯定しないでしょうか。しないでくださいね。

女子医大生が子どものぬいぐるみを縫ってあげる「先生ありがとう!」のCMを何年も流し続けて大学の広報をしてたんだから。

これで女子受験生差別をしてたとなると、女性性を広告塔とばかりに見なしていた昭和大学の古い価値観が露呈しますからね!

この一連の不正入試ニュース、それがなにより気に入らないのです。