展示会好きなら四の五の言わず、買えッ!!

もう終了してしまいましたが、奇想の系譜展に行ってきました。

 

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曽我蕭白伊藤若冲、鈴木其一、歌川国芳など、単独でも十分に人を呼べるビッグネームが、これでもかっと集められた至極の美術展でございまして、なんちゅう贅沢なイベントをするんだ、都美よ。

よだれじゅるじゅるで、4時間近く堪能いたしました。

 

しかし、東京の美術展、博物展となると、避けられないのが大混雑。

この展示会も入場まではスムーズでしたが、会場中はもの凄い人・人・人。

たいていは入り口近くか目玉展示の周りは激混みするものの、出口に近づくほど混まなくなることが多いのですが、この美術展はどれもが目玉級なので、どれも人だかり。

で、活躍したのが、こちらです。

 

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Papilio II

PENTAX(RICOH)の双眼鏡 Papilioです。

展示会に単眼鏡を持っている人はたまに見かけるけど、双眼鏡は持ってかないでしょ!って?

ええ、私だって見たことなかったですよ、そんな人。

でも、これはマジで凄かった。

 

www.ricoh-imaging.co.jp

 

なんと、50㎝先でもピントが合うという驚きの近距離双眼鏡なんです。

名前から想像できるように、もともとは昆虫などを見るためのものだそうですが、この距離感は展示物を見るにもちょうどいい。

しかも、屋内で使うに十分な視野の広さと明るさがあり。

なにより、単眼鏡より両目で見た方が立体感が全然違うのです。

 

まずは普通に絵を眺めて、それでなんの不足がなくても、この双眼鏡を覗いてみる。

すると、小さすぎて見えなかったモノが見える。たとえば、鶏の目に下睫毛があるのか!とか、着物の柄にそんな色の線が入っていたのか!ということが見える。

その後に、双眼鏡を外してもう一度絵を眺めると、さっきとは違う風に見える。自分の目の感覚が鋭くなった気がする。そんな体験ができるのです。

 

特にこの奇想の系譜展で快哉を叫んだのが、長沢芦雪の「方寸五百羅漢」

これは3センチ四方の中に、羅漢や動物を本当に500くらい描いてるんじゃないかという狂気ものの掛け軸でして、当然、普通に見ててはようわからん。隣に並べてある拡大図を見ても、米粒か埃を寄せ集めたような絵にしか見えないのです。

そこで、ドヤ顔で取り出すは、この双眼鏡。

これがまぁすごいのって。双眼鏡のレンズを通してみれば、ちゃんとお釈迦様が象さんに乗っているのがバッチリわかる。それを取り囲む人々(羅漢)も、ちゃんと取り囲んでるのがわかるし、なによりその3センチ四方のなかに、大勢の人が集まる集落が見えるのです。

拡大図でもそこまではわからなかったです。

 

美術館好き、展覧会好きなら、持っておいて得しかない逸品です。

ちょっとねー、デザインと重さがねー、単眼鏡に比べるとモッサリしてるのが難点と言えば難点。

でも、一度使ってコイツの実力を知ると、そんなこと全く気にならなくなります。

 

 

サラリーマンの仕事の流儀

サラリーマンの仕事の流儀。

それは、自分がしなくていい仕事をいかにしないで済ませるかに頭を使うことです。

 

ーーー

日本のサラリーマンの生産性が悪いのは、生産性など考えずに仕事をしているからだと常々思います。

その仕事は本当にすべきなのか。

「すべき」かどうかまで考えてないよね、仕事を与える側のひと。

考えろっての。

 

仕事の種類は4つあると思っています。

①すべき仕事

②したほうがいい仕事

③してもしなくてもいい仕事

④しちゃいけない仕事

 

①以外はさせちゃダメだと思います。

でも会社には②と③の仕事があふれている。

したほうがいい、くらいのレベルの仕事なら、別にしなくてもいいんでしょ。しなくてもいいことに時間をかけてはいけません。時間は人の人生だから。

それなのにね「一応やっといて」とか「念のためにやって」なんてセリフ、山のように聞きます。そんなの、指示する側の判断力と想定力の欠如としか思えないんだけど、無自覚ですよね。

で、会議の後は使い捨て企画書や使い捨て調査書や使い捨て報告書なんかが山のようなゴミとなる。

ムダばっかだな、といつも思う。

 

働き方改革とか、残業を減らそうとかって、本当にしたいんだったら簡単にできます。

トップが本気でそう思えばいい。

社内会議で何かにつけて「それはムダな作業なんじゃないの」「そこまでする必要ある?」「それは本当にすべきことなのか」って繰り返し言えばいいだけです。トップが具体的に仕事の仕分けをしなくても、トップの口ぶりはすぐに部下がマネするから、忖度して動いてくれるでしょう。

 

カネのムダには口うるさくても、労働力のムダには無意識なトップばかりだから、日本のサラリーマンは疲れているのです。

 

だから、しなくていい仕事は極力しないで自分の身を守るのが、サラリーマンには必要なのです。

 

若い女の子たちに言いたくないこと

友人は優秀なSEでした。

31才までIT企業でバリバリ活躍し、結婚。

数カ月に妊娠するものの、それがきっかけで少々難しい病気が見つかり、母子無事に出産するためには安静にする必要があったため、やむなく退職。

そして出産。

もともとはスポーツ好きの健康体だったから体力もみるみる回復し、もともと好奇心旺盛な凝り性だったから、育児にドはまりした。こんなに面白くて目が離せない興味の対象はない!と目を輝かせていたのは、実に理系女子っぽかった。

 

3年ほどたっぷりと子育てを楽しみ、さてそろそろ社会に復帰しようと考えた。

子どもが小さいうちに稼いでおきたいし、地方都市なので保育所はまぁなんとかなる。どちらの実家も同じ市内だから、万が一のときには助けも期待できる。

そして、どうなったか。

 

IT企業は山のようにあるけれど、ハードワークが期待されるSE職、子育てしながら勤務したいママなんてお呼びじゃない。

正社員がダメなら派遣でもと探したが、そんな条件のいい職は派遣でも取り合いになる。残業をなるべく避けたいママには狭き門だ。

自分の経験とスキルなら、引く手あまたとは言わないけれど断られることはなかっただろうと、それだけの自信はあったのに、あまりの苦戦ぶりにショックを受けたという。あれは”独身ステータス”だったからかと。

弱気になって「とりあえずどこでも働けるところなら・・・」と近所の歯科医院の受付アルバイトに応募するものの、それもママたちの倍率高い争いとなり、あっさり敗れ去る。

「女が働くのって、難しかったんだね」と彼女は私に語りました。

 

優秀で働く能力も体力もあるのに、妊娠・出産・子育ての”関”を越えるとその能力を社会で発揮させてもらえないのは、どうしてなんだろう?

それは多くの女性が通る道なのに?

 

あんなに優秀なSEだった友人が、近所のバイトの面接に落ちて肩を落としているところなんて、私は見たくなかったです。

 

これから社会に出る若い女の子たちに、私たちはこう言わなければいけないのでしょうか。

大企業に行きなさい、そしてしがみつきなさい。大企業で働いているうちは産休育休で子どもを産んでもまた仕事に復帰できる。

スケジュールを立てなさい。子どもを産んでもたった1年で会社に戻ってこないといけないから。

そして体力をつけなさい。子育てと仕事の両立はハンパなく大変なのです。

 

こんな話は、女性と政治家だけが考えないといけないのでしょうか。

女性だけが、最初の就職時点で人生のキャリアプランを綿密に逆算し、そのとおりに粛々と人生を実行していかなければならないのでしょうか。

 

急な病気や怪我や、親の介護や配偶者の不幸なんて人生の”関”は男にだって起こりうることで、そこでキャリアを止めたり、変えたりすることは、誰にだってある話です。

 

24時間40年間戦い続けられる人しか、自分らしく働いていけない社会は、辛いと思うのです。

 

 

かくして、その友人はその後どうしたか。

彼女の姉が手先が器用で子供服やアクセサリーを作るのが上手かったので、彼女がネットショップを立ち上げて、結構繁盛しているようです。

 

中途採用者が期待されること

もうすぐ新卒社員が入ってくる時期になりました。

 

私は新人が嫌いです。ええ、嫌いなんです。

なぜって、新人を育てる時間や労力の分、教育する側のパフォーマンスが下がるから。

自分の持てる力の100%をすべて仕事に注ぎ込みたいのに、そのうち数%を新人に持っていかれる。それがイヤなんです。なんて器の小さな私。

半年我慢したらマシになり、1年も経てばたいていは優秀な仲間になってくれるので、あぁ育てたカイがあったといつも悦にひたるのですが、そして4月になってまた繰り返し。正直、面倒くさいです。

 

ですので、新卒じゃなくて中途採用が入ると決まったときの嬉しさたるや!

同じ業界の方なら天の恵みだし、業界違いでも、職種違いでも、全然いいんです。ほんと、ウェルカム!

 

新卒と中途の差は、教育にかかる手間の違いです。

最初に組織や仕事の知識を教えるのは同じなのですが、新人には、その知識の「使い方」まで教えなければいけないけれど、中途だったらそれまでの経験から自分で使い方をあれこれ試してくれるでしょう。

新卒には、質問や上手な報告の仕方といった、タテ社会のコミュニケーションを教えないといけませんが、中途だったら当たり前にできるでしょ。

ビジネスマナーは言うまでもありません。

 

だから、そういうことができない中途が入ってくると、私の拒絶感はハンパありません。

つい嫌味のひとつやふたつ言いかけて自己嫌悪に陥るので、ホント、いや。

 

中途採用が何を求められているかがわからないうちは、転職なんかしないでもらいたいものです。

 

組織が違えば”即”戦力になれるわけでないことは、受け入れる側もわかっている。

でも戦力になるまでが新卒に比べて圧倒的に早いことは期待しています。

 

私も数度の転職を経験しているのでよくわかるのですが、自分が戦力になるまでは誰かのお荷物になっていることを自覚しないといけない。

私は営業職だったのでイメージするのは、他の営業マンの稼ぎに養ってもらっている状態だってこと。

早くひとり立ちして自分の食い扶持は自分で稼がないといけないし、他を養うくらい稼がないと営業としては一人前とはいえない!

それくらい必死にならないといけないのです。

 

中途が、新卒と同じように教育してもらえると思っていたら、ダメです。

上の人がうまく使ってくれたら有能に働けます!なんて言ってるうちは、ダメ。

自分で自分をうまく使えることを、組織は中途採用者に期待しています。

 

どうかこれから転職をしようと考えている人は、それを自覚して新しい職場に入ってください。

目からウロコの皮むき器

まったく期待していなかっただけに、あまりにも衝撃過ぎて、親戚や友人たちに勧めまくっているのが、コレ。

 

 

貝印のピーラー。皮むき器です。

 

皮むき器に1000円も出せるかッ!100均に売ってるやんけッ!と、小ばかにしたあなた、その視野の狭さに後悔しますよ。かつての私もそうだったんですから。

 

正直、ピーラーでむくより包丁でむいたほうが早くてキレイだわ、と思っていた私ですが、

それは本物を知らなかったから!

 

あのね、はっきり言って、包丁よりもこの皮むき器のほうがキレイにむけます。

桃のあの薄い皮だってスッとむけてしまうのですよ。

 

歯を皮にあてて、力は入れず、そっとなでるだけで、大根でも人参でもぴろーんと皮がむけてしまいます。その感動たるや、台所で「うほっ♡」と声が漏れてしまったほどです。

 

100均の皮むき器なんて、皮むき器じゃないです、皮はぎ器です。貝印と同じ皮むき器なんて名前で売らないでもらいたい。100均を最初に使ってしまうと、日本人のピーラー意識が激しく損なわれてしまうので、もう罪です。

 

3カ月前に買った時はアマゾンですぐに届いたけど、今見たら1・2か月待ちになってますね。

でも待つ価値はありますから、注文をいれておくことを激しくおススメします。

 

 

 

 

管理職になりたくない理由を考えてみた

 女性が管理職になりたがらないって話はよく聞きますが、

www.excite.co.jp

 

 

ワークライフバランスが悪くなる

・管理する仕事はヤだ

・お手本がないからイメージがわかない

・横並びの女子仲間から抜きんでたくない

・男子に妬まれる

・昇進することに価値を覚えない

・責任が重くなるのはしんどい

 

など、世にはいろいろな理由がいわれているのですが、どうも自分的にピンとする理由がないので、帰りの電車で考えてみた。

 

で、出た結論。

 

これ以上、この組織にコミットしたくないんだ、私。

 

上司には言えませんねー。

 

仕事好きだし、どうせ24時間働いてしんどいなら給料は高い方がいいし、仕事はバンバン仕切りまくってるし、とっくに女子の和なんて離れてるし、男子には怖がられてるし、部下を育てるのは好きだけど。

この会社じゃなければ昇進のオファーを受けたかもしれない。

でも、ここでは、もういい。

 

心の壁が結構厚いんだけど、さぁて、どうやってお断りの理由をつくろうか。

・・・そうか、みんな適当に拒絶の理由をつくってて、それを聞いたジャーナリストかライターあたりが訳知り顔でネットにコメントだしたりしてるのかもね。

 

 

 

 

高校生の幼児化と常識の変化

最近、立て続けに高校生と電話で話すことがあったのですが、まぁ驚いた。

 

高校3年生の男の子。

電話がかかってきたので、こちらが名乗ったあと、開口一番、

「電話、残ってた」

・・・は?

本当にそれしか言わないの。

状況的には、数時間前にこちらが電話して留守電か着歴があったから掛けなおしてくれたのですが、自ら名乗ることもしなければ、「掛けなおした」という単語が言えない。

 

別の高校3年生の女の子。

あるイベントの参加を受け付けるためにいくつか資料を送ってもらわないといけなかったのですが、△△という資料を入れ忘れてたらしい。

電話を取ったら唐突に「△△入れなかった」。

「・・・で?」と返した私も多少いじわるだったかもしれません。

 

「○○というイベントに申し込んだのですが、△△を同封するのを忘れてしまいました。どうしたらいいですか?」という文章が話せないのです。

 

大丈夫か、高校生。

 

生まれたときから携帯電話でしか電話したことがないから、名乗らなくても自分の名前が相手の電話に表示される(だから自分だとわかる)と疑わないし、1対1のコミュニケーションしかできないから、自分が多数のなかのひとりだと想像できない。

それに、おそらく過保護なオトナに囲まれていて、ひとつ単語を発すれば周りが文章に変換してくれるのでしょう。「おなかすいた」とつぶやくだけで、「じゃあご飯を食べましょう。パンとご飯どっちがいい?朝はパンだったからご飯にしましょうか」とママが先回りして言ってくれるのかも。

 

高校生が幼児化してるのか、幼児が成長できなかったのかはわかりません。

アホ化。

 

 

と、ここまで書いて思い出したのが、今年のうちの新卒。

家に固定電話がなかったそうで、会社の電話の取次ぎができなかったのです。

 

まず、電話を受けても自社名を名乗れない、というか名乗るという常識を知らない。

次に、相手の会社名を聞き取れない。聞いて、それを取次ぎ先に伝えるという常識を知らない。

そして、保留ボタンを押すことが覚えられない。

 

昭和生まれのオトナたちは唖然としたものでした。

この子、東京のトップ5大学を出てるんです。そんなこと関係ないのね。

 

常識というのは、いずれ常識じゃなくなる日がくるんですね。。。