外国人労働者を日本人が扱えるの?

日本の労働力不足を外国人で補いたいのだそうです。

 でも、政治家のセンセたちが思い描いているような、そんなにうまくはいきませんよ。

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補いたい分野が「建設」「農業」「宿泊」「介護」「造船」といったいわゆる単純労働で、日本人がやりたがらないたぐいの仕事を、だったら外国人ならやってくれるんじゃね、って発想が、貧乏な国からカネで労働力を釣ってるようで、どうもスッキリしないのですけど。。。

 

日本で就労資格を得るには「日本語の能力」も必要されるそうですが、 

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言葉さえクリアしたら、日本人単純労働者と同じだと思ってます?

それは考えがあまいです。というか現実を知らなすぎ。

 

留学生を数多く受け入れている大学の、留学生を一番受け入れている学部の先生に聞いたことがあるのですが、外国人留学生は日本人学生の3倍は手間がかかるのだそうです。

 言葉の問題はもちろんのこと、日本語がある程度使えるようになった後でも、生活面が大変なのです。

まず、異国での生活はひとりでは営めないので、頼るところが必要。それが大学だったら教員だったり国際交流センター的な部門だったりしますが、ひとたび頼る人間ができるとあらゆることを頼ってきます。アパート探しや銀行口座の開設のお手伝いくらいなら想定の範囲でしょうが、たとえば、無断欠勤したアルバイト先に首を切られたのにしつこく再雇用のお願いに行って困った店長が教員に連絡してくるとか、1Rのアパートがいつの間にか同郷人のシェアハウス化していて追い出しにかかる大家と留学生との間で仲裁するとか。

留学生に限らず社会人でも同じで、自社で雇っている以上は社会的に面倒を見なければならないシーンはあります。自分で始末しろと突き放すわけにはいかない。

 

外国人ではないのですが、ある男の子から手紙をもらったことがありました。ご両親は東南アジアの方ですが、もう日本生活が長いのでその男の子は日本語がメイン。小(途中から)・中・高と日本で過ごし、声だけ聴いたら違和感なく日本人です。

手紙はこちらが渡した茶封筒で送られてきたのですが、その封筒がです。封筒には表と裏があり、表に宛先、裏に自分の名前を書くというのが常識、だと思うでしょう? ですが彼は裏に宛名を書いて切手を貼り、表に自分の名前を書いてきたのです。

フラップ(フタ)を留めて封をしてあり(いやそれもセロテープを縦にペロッと貼っただけで封とは言えなかったのですが)、その面に切手と宛先です。表面には堂々たる文字で自分の住所と名前を書いています。裏面とはいえ、宛先の面に切手を貼るのと、宛名には○○様をつけるという常識知識はあったようで、手紙は私の手元に無事に届きましたが、それでメデタシメデタシとはいえ、私を驚かせるには十分でした。

いくらデジタルネイティブな世代で郵便手紙なんて使ったことがなかったにしても、何十年も日本で生活していれば親に送られてくる封書やDMを目にして、封筒の裏表くらい意識せずに知っているだろうと想定されませんか。けれど彼はその機会をなにかの理由で得られなかったわけです。

 

日本人が”当たり前”のことと意識すらしなかった些細な事柄で、彼らは躓くことがある。

異国に来た人たちがそういう躓きを越えていくのは彼らに頑張ってもらうしかないけど、そこに手を差し伸べる方も、結構手間です。

キリスト教者なら日本の地区のキリスト教会が頼らせてくれたりするようですが、みんながみんな宗教的背景を活かせるわけじゃない。受け入れた側の企業がそれをするとなると、今度は日本人側のパフォーマンスが落ちる。そう考えると、中小企業では難しいでしょうね。

そういう「受け入れに必要な仕組み」を検討することもなしに外国人労働者の受け入れることだけを先行しようとするから、スッキリしないのです。

 

一方で、優秀な外国人労働者だったらwelcomeなのか。

それは「日本人が、日本国内で、外国人に雇用される」未来を受け入れられるのか、によります。

優秀な外国人は驚くほど優秀です。

語学だけでも母国語と日本語、だけではなく英語やその他言語も習得していることが多い。頑張り屋さんだし、異国で生き抜く社交性も身に付けている。ひきこもり日本人よりよっぽどコミュニケーション能力が高い。固定概念に縛られていないので発想が幅広い。日本人の大多数は負けますよ。彼らに勝てるような教育を受けてないのだから、仕方ないよね。

 

日本人が、自分勝手に想像しているような理想的なカタチで外国人労働者を扱えると思ったら、大間違いなのです。