単純に喜べない人たち

3年4か月もシリアで拘束されていた人質が、無事に帰ってくることってあるんですね。

私などそのことだけでも驚いて、そして安田純平さんが五体満足に日本の地を再度踏むことができたことが、本当に喜ばしいのです。よかったよかった。

 

www.asahi.com

 

自己責任というキーワードがネットで沸騰しているようですが、もともと自己責任なんて概念、日本国民はお持ちだったのかしら。

自己責任が徹底された社会だったら、甘ちゃんの日本人なんて生きていけないですよ。社会保障もなく、弱者は徹底的に虐げられて、匿名でしか強気になれないネット住民は社会の隅に掃き捨てられるんじゃない?

日本人がどれだけこの社会に甘やかされているか自覚もせず、ここぞとばかりに自己責任だなんて、どの口が言うんだか。それこそがぬるま湯育ちで自己責任の本当の厳しさを知らない証左。

 

こうしたジャーナリストと並べて話すのもおこがましいのですが、私もバックパッカーで海外をふらふらしてたことがあるので、そうした人間が思うのは、そんな風に個人的動機(事情/衝動)で海外をうろつこうという人間は、自己責任なんて当たり前に持ってる感覚だということです。

自分の身に何が起こっても、ひとのせいにしない。

 

でも一方で、ひとのせいにしないということは、自分の身を守るのは自分しかいないと腹をくくることだから、ひとたび何かが起これば、考えられるありとあらゆる手段を使って自分の身を守ります。

それが安全地帯にいる人から見ればみっともない姿であっても。

もうそれは、とんでもない危機に晒された人にしかわからないでしょう。

 

 

私はキリスト教ではないので耳記憶でしかないのですが、聖書に100匹の羊の話があるそうです。

100匹の羊を飼っていて、そのうち1匹が見当たらなかったら、99匹を野原に放っておいても迷った1匹を探しに行くでしょう?というもの。

この話の真意は知りませんが、99匹と1匹を天秤にかけるのではなく、迷った1匹が心配で探しに行かずにはおられないよね、と私は解釈しました。

 

国も、そうであってほしいと思うのです。

 

制止を聞かずに飛び出していったとしても、他人から見たらアホな動機であっても、理由や事情のいかんを問わず、「日本人が海外で困難に見舞われたら」そのことだけで必死に救出してくれる国であってほしい。全力で救出しますと高らかに宣言する国であってほしい。それを当たり前とする日本国民であってほしい。

親だってそうじゃない。子どもが迷子になったのに、親の言うことを聞かないから自己責任だとか、皆さまにご迷惑をおかけするから捜さなくていい、なんて言う親はイヤだ。

だから、安田純平さんが無事に解放されたことを、自己責任だとか難しい言葉でかしこぶって、単純に喜ばない人たちがいることが、なんか悲しいなーと思います。

 

 

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3年4カ月も拘束監禁されていて、よくこれだけしっかりと取材に応じられるなと驚嘆します。

解放された時の気持ちが「(カメラや仕事道具の)荷物を奪われて腹が立った」って。まるでハワイの入国審査で荷物検査にでもひっかかった兄ちゃんのようなセリフ。

これがジャーナリスト魂というのか、40か月という月日でも変わらなかった感覚が凄い。一般に想像される人質生活とはだいぶ違うものなのかしら。

にしても、この人、こういうキャラなんですね。NHKは悪意ないですよね。。。